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塩竃神社

塩竃神社の御祭神は製塩法を伝えた鹽槌翁尊で、もともとはすぐ北に鎮座する玉津島神社の祓い所す。




御神体の塩槌翁尊は、輿の窟と呼ばれる窟に鎮座する、海の幸、安産の神様として親しまれてきた神社です。




私も息子を妊娠した時に腹帯をここで頂きました。




塩竃神社





祠は、海風により自然に出来た洞窟です。
祠の中には小さな拝殿が造られています。
元は輿ノ窟(こしのいわや)と呼ばれていたのだそうです。





拝殿




塩竃神社のちょうど目の前にあるのが不老橋(ふろうばし)です。
この橋は、片男波松原にあった紀州東照宮御旅所の移築に際して、第10代紀州藩主徳川治寶の命によって架けられたのだそうです。




万葉の橋



私達が和歌山市に住んでいたのは、今から20年くらい前から7年間です。
当時の和歌浦はこんなにきれいに整備はされていませんでした。




当時はバブルの少し前です。
和歌山市のリゾート開発が始まろうとしていた時のことです。
テレビを見ていたら、突然この不老橋をクレーン車が壊そうとしているのです。
そういえば、少し前に不老橋を壊すと新聞に出ていました。




私は、新聞を読んでなんてことを…、と嘆いていたのを覚えています。
そしてついにその当日、クレーン車は不老橋にガーンと横殴りの一発を入れたのです。
うわ~、酷い。





そう思った瞬間、クレーン車は動きを止めました。
そして、その後工事は一旦中止になったのです。





一体、何事が起ったのかはいまだに定かではありません。





しばらくして、不老橋の前を通ると橋の一部崩れたところがけが真新しいコンクリートで白く光っていました。




私は悲しくなって、胸が重くなったものです。





それから、そのことはずーっと忘れていたのですが今回この不老橋を見ると何とも、驚いたことにあの時の白く光っていたコンクリートは無くなっています。




どうしたのでしょうか。
誰かが、壊れたところを組み合わせたのでしょうか。
それとも、同じような素材を探してきて修復しなおしたのでしょうか。
20年の歳月が、あの全く素材の違うぺったりしたコンクリートを同じ素材の石に変化させたとは到底思えないのですが…。




いずれにしても、今はあの思いつきのようなクレーン車での破壊のあとは全く残っていません。




私と夫はなんだかキツネにつままれたような不思議な感覚にとらわれているのです。
でもまあ、元に戻って良かったということなのでしょうね。





そのあと、和歌浦の片男波へ向かいました。






片男波






それから、和歌浦はとても綺麗になっていました。
片男波は以前よりもいっそう整備され、観光客にも地元の人にも愛される美しい海なっていました。




このあと、竃山神社へ向かったのでした。


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